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【顔画像】佐々木朗希の家族構成!父親や母親と仲良しで兄はイケメン!仕事も調査

佐々木朗希選手といえば、野球界で「令和の怪物」と称される投手ですね。

デビュー当初から注目され、2022年4月10日にはプロ野球の歴史で28年ぶりの完全試合を達成し話題になりました。

そんな佐々木朗希選手の家族構成はどうなっているのでしょうか?

今回は佐々木朗希選手の家族について調査していきたいと思います。

【画像】佐々木朗希の家族構成!

(引用:news.yahoo.co.jp)

佐々木朗希選手の家族構成はこのようになっています。

父親:佐々木功太(ささき こうた)

母親:佐々木陽子(ささき ようこ)

兄:佐々木琉希(ささき りゅうき)

本人:佐々木朗希(ささき ろうき)

弟:佐々木怜希(ささき れいき)

それでは、佐々木朗希選手の家族について順に見ていきましょう。

【画像】佐々木朗希の父親はどんな人?

(引用:6gifu-np.jp)

名前:佐々木功太(ささき こうた)

生年月日:1974年(推定)(享年37)

佐々木朗希選手の父親の名前は功太さんです。

岩手県陸前高田市出身である佐々木朗希選手と家族は、2011年の東日本大震災で津波の被害に遭い、父親の功太さんはその犠牲者となりました。

享年37という若さであり、佐々木朗希選手の祖母も津波で帰らぬ人となりました。

佐々木朗希選手が9歳(小学校3年生)の時でした。

佐々木朗希の父親の職業は?

(引用:ameblo.jp)

功太さんの職業は葬儀屋さんだったようです。

とても熱く人情あふれる人柄だったそうで、働き者であり、町内会にも率先して参加する陸前高田では知られた存在だったといいます。

付き合いの長かった戸羽太・陸前高田市長は功太さんについてこう話しています。

「有言実行の人。一緒にやろうという仲間作りが上手な人でした。気さくで、行動力があって。先輩も後輩も、みんなが付いていって」

引用元:日刊スポーツ

こんな父親を突然失った佐々木朗希選手の悲しみは計り知れないものがあります。

(引用:ubewidow.blogspot.com)

佐々木朗希選手は、父親・功太さんについて話していました。

「なんか、僕が言うのもあれですけど、誰とでもすごく仲良くしていて、みんなに愛されていたのかなぁ、と思います。」

引用元:日刊スポーツ

佐々木朗希と父親エピソード

(引用:twitter)

功太さんは、佐々木朗希選手の少年時代、キャッチボールに付き合ってくれたとのこと。

また野球以外でも、家族へのサービス精神が旺盛な父親だったようです。

功太さんは皆から愛される本当に良い父親だったのですね。

佐々木朗希選手は学生時代、毎朝のように遺影に向き合い「活躍する姿を見せることが1番の恩返し」という思いを強く抱いていたようです。

(引用:sanspo.com)

また、佐々木朗希選手はこう振り返ります。

「悲しいことではあったんですけれど、すごく今に生きているなと。当たり前が当たり前じゃないとか、今あるものがいつまでもあるわけじゃないとか、そういうのを思い知らされました。」

引用元:日刊スポーツ

功太さんの存在が、佐々木朗希選手の強さの源になっているのかもしれませんね。

前述した戸羽太・陸前高田市長は、佐々木朗希選手の完全試合後こう話していました。

「すごかった。もう、涙出ましたよ」と感極まったことを振り返った。「13連続三振も鳥肌でしたけど、最後に19三振で終わって、本当に涙が出ました。普段はそんなに泣いたりしないんですけどね」

引用元:YAHOO!ニュース

戸羽太市長はきっと、功太さんのことを重ね合わせて観ていたのでしょう。

【画像】佐々木朗希の母親はどんな人?

(引用:suzumeweb.com)

名前:佐々木陽子(ささき ようこ)

生年月日:1973年5月(推定)

佐々木朗希選手の母親の名前は陽子さんです。

佐々木朗希選手のロッテ入団交渉に同席した時から、巷では「美人」「キレイ」と話題になっていました。

 

たしかに、陽子さんは整った顔立ちのとてもキレイな女性ですね。

佐々木朗希の母親の年齢は?

(引用:sponichi.co.jp)

陽子さんの年齢ですが、2019年12月1日のスポニチ取材の時点で46歳であることが分かります。

ロッテからドラフト1位指名された大船渡・佐々木朗希投手(18)は30日(中略)球団投手では史上初の最高条件で契約合意した。佐々木の母・陽子さん(46)も息子の晴れの姿を見守った。

引用元:スポニチ

また2020年5月10日のスポニチ取材の時点でも46歳であることが分かります。

2011年3月11日の東日本大震災で父・功太さん(享年37)を亡くしてから、母・陽子さん(46)に女手一つで育てられた18歳。プロ野球選手となった今、最愛の母への恩返しは「ありがとう」の言葉とともに、マウンドで躍動する姿を見せることだ。

引用元:スポニチ

さらに、陽子さんの誕生日は“母の日”に近いようです。

誕生日が母の日に近い陽子さんには、次男・朗希ら3兄弟で感謝と祝福の気持ちを伝え続けてきた。

引用元:日刊スポーツ

母の日は5月の第2日曜日ですから、5月中旬が誕生日のようですね。

以上ことから、1973年5月生まれと推定できます。

佐々木朗希の母親の職業は?

(引用:スポニチ)

陽子さんの職業は公表されていませんが、東日本大震災のあった当時「仕事に行っていた」という情報があるので働いていたことは確かです。

また「会社員」という情報もあり、震災前まではOLだったようですね。

震災後、陽子さんと3人の息子達は仮設住宅暮らしを経て、大船渡市に自宅を建て暮らし始めましたが、震災以降の仕事については不明です。

しかしながら、震災で夫を亡くして以降、女手一つで3人の息子を育てるのは大変だったでしょう。

佐々木朗希の母親の子育てエピソード

(引用:nikkansports.com)

陽子さんは2000年代後半に広まっていた「早寝する子は育つ」という口コミを実践していたようです。

夜8時には就寝の準備をし、明かりを消していた。そのかいあってか、朗希は功太さんの181センチをはるかに超えるまでに大きくなった。

引用元:日刊スポーツ

また、陽子さんは栄養面でも息子達を全力でサポートしました。

佐々木朗希選手は「小さい時に、いっぱい食べていっぱい寝たので、それで大きくなったので」と話していました。

(引用:news.yahoo.co.jp)

佐々木朗希選手が球団公式インスタグラムで実施している「Q&A」企画に登場した際には「お母さんの手料理で好きな料理は?」と聞かれこう答えています。

「ハンバーグです。肉と一緒に豆腐が入っている。お店のハンバーグがたべられないくらいおいしいです」

引用元:FMMプライムオンライン

この時添えられた写真がこちらです。

(引用:球団提供)

食欲旺盛な球児の息子達のお腹を満たせるようにと、ボリュームたっぷりな手料理を作る母親の愛が伝わってきますね。

とても大変な状況の中で全力で子育てをし、佐々木朗希選手のような立派な選手が育ったわけですね。

佐々木朗希と母親の仲良しエピソード

(引用:ameblo.jp)

佐々木朗希選手は兄弟3人で、母の日サプライズを行ってきたようです。

小学校4年生の時はこんなことがありました。

「小学校4年生の時に100円ショップに行って、母にタオルハンカチをプレゼントしたことがあります。100円なので喜んでくれないかなと思ったのですが、とても喜んでくれたのを鮮明に覚えています。その時にプレゼントは値段ではなくて、プレゼントをするという気持ちが大事だと思いました」

引用元:中日スポーツ

そして、小学校5年生の時にはこんなエピソードがありました。

小5の母の日は、一家念願の新居で。こっそり買ったロールケーキをガレージに隠し、夕食後に渡した。

引用元:日刊スポーツ

(引用:日刊スポーツ)

2021年5月27日、佐々木朗希選手はプロ初勝利を挙げた際にヒーローインタビューで「ウイニングボールを両親にプレゼントします」と言いました。

この時のことを陽子さんはこう話していました。

「ヒーローインタビューでウイニングボールをどうするのかと聞かれて『両親にプレゼントします』と言ってくれたことがうれしくて、号泣しました。私だけではなくて両親にと言ってくれたのが、本当にうれしかったです。」

引用元:日刊スポーツ

そして、佐々木朗希選手は陽子さんについてこう話します。

「今、こうやってプロ野球で野球ができているのは母のおかげだと思っています。本当に感謝をしています」

引用元:日刊スポーツ

素直に感謝の気持ちを伝えられるって素敵ですよね。

本当に仲の良い親子なんですね。

【画像】佐々木朗希の兄はどんな人?

(引用:tohkaisimpo.com)

名前:佐々木琉希(ささき りゅうき)

生年月日:1998年(推定)

佐々木朗希選手のお兄さんの名前は琉希さんです。

佐々木朗希選手の3歳年上とのことなので、1998年生まれと推測できます。

琉希さんは東北学院大学を卒業後、現在は社会人となっているようです。

(引用:rhonday-kelp.blogspot.com)

琉希さんも野球少年だったそうで、小学校3年生の時に野球を始めたとのこと。

父・功太さんの生前は、自宅前の庭で琉希さん、佐々木朗希選手が代わる代わる投手と打者を務め、功太さんがキャッチャーをやってくれていました。

震災後大船渡市に移った後は、佐々木朗希選手と同じ大船渡高野球部に入部し、琉希さんは4番打者だったようです。

(引用:suzumeweb.com)

野球が大好きな佐々木兄弟ですが、長男である琉希さんはその陰で支えてくれる母・陽子さんへの感謝を忘れはしませんでした。

「(朗希が)野球の意識が高いのは知っている。体重を増やすのもどんなに大変か。言われなくても頑張っているから。」

ただ「一番大変なのは母親だぞ」とだけは伝えた。朝早くから3兄弟の弁当を作り、ユニフォームを選択してくれた母のありがたさを感じているからだ。

引用元:岩手日報

東日本大震災というこれ以上ないくらい悲惨な経験を経て、琉希さんはより強く、人の優しさやありがたみが分かるようになったのでしょう。

「震災を経験して支援をもらい、人のありがたみが分かった。(朗希には)困っている人に優しさを向けられる人に、プロ野球であれば希望を与えられる人になってほしい。」

引用元:岩手日報

(引用:suzumeweb.com)

父親を失った佐々木家では、琉希さんは父親代わりのような存在になっていったようです。

琉希さん本人も辛いだろうに、弟達の面倒をみるなんて人として本当に素晴らしいですよね。

【画像】佐々木朗希の弟はどんな人?

(引用:twitter)

名前:佐々木怜希(ささき れいき)

生年月日:2005年(推定)

佐々木朗希選手の弟の名前は怜希さんです。

高校は佐々木朗希選手や兄・琉希さんと同じ大船渡高校であり、野球部に所属していることが分かっています。

2017年時点では「猪川野球クラブスポーツ少年団」に所属していたようです。

写真は2017年のものなので、現在はもっと大人びているでしょう。

猪川野球クラブスポーツ少年団」は、佐々木朗希選手も所属していた少年野球クラブです。

(引用:ポップアスリート)

●チームのモットー

多くの方々に支えられて野球ができているということに感謝する、バッグをきちん並べるなど野球道具を大切に扱う、誰に対しても元気よく大きな声で挨拶

●アピールポイント・過去成績

震災以降、校庭が使えず近隣の学校の校庭をお借りしながら練習してきました。
現在は昨年11月に校庭が開放され約6年ぶりにホームグラウンドで練習しています。
多くの方々のご支援、ご協力があって野球ができていることに喜びと感謝の気持ちを忘れません。

引用元:全日本軟式野球連盟

こちらの野球クラブも震災の影響を受けてきたのですね。

怜希さんも当クラブを通じて「野球ができることに感謝する」気持ちや、様々な事を学んだことでしょう。

兄達の背中を追う怜希さん、野球関連でメディアに登場する日もくるかもしれませんね。

佐々木朗希プロフィール

(引用:nikkansports.com)

名前:佐々木朗希(ささき ろうき)

生年月日:2001年11月3日

出身地:岩手県陸前高田市

身長:190㎝

体重:85㎏

所属:千葉ロッテマリーンズ

高校野球時代から公式戦での高校生投手史上最速タイとなる160km/hを計測するなど注目を集め「令和の怪物」と称されてきました。

2022年4月10日には、史上最年少で完全試合を成し遂げ、更に13者連続三振・試合では19奪三振と、まさに怪物ぶりを発揮しましたね。

佐々木朗希選手の今後がますます楽しみです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は佐々木朗希選手の家族構成やエピソードについて調査しました。

佐々木朗希選手のこれからの活躍にも目が離せませんね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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